1920年、「妹の死」でデビュー。1932年のトーキー映画「忠臣蔵」が大ヒットします。1926年の「狂った一頁」は1982年に、サウンド版を全世界で公開し、大成功を収めます。衣笠貞之助は、欧米で最も早く世界的評価を受けた日本人監督として知られています。終戦後も、1953年、華麗な色彩美あふれた歴史絵巻「地獄門」がカンヌ国際映画祭グランプリ、米アカデミー賞の名誉賞と衣装デザイン賞の2部門、ニューヨーク映画批評家賞外国語映画賞を受賞し、世界的大監督の名をほしいままにしました。その後、大映の重役として、ミス日本から映画界入りした山本富士子を起用し、彼女をスターに育て上げます。1958年、「白鷺」は、カンヌ国際映画祭特別表彰を受賞、世界的評価も高いです。1982年2月26日、死去。
<お墓の所在地>
〒603-8346
京都京都市北区等持院北町 等持院
TEL:0754-61-5786