山中貞雄(1909年-1938年)

1932年、長谷川伸の戯曲を脚色した「磯の源太 抱寝の長脇差」を監督第一作として発表。この作品が映画評論家の岸松雄の目にとまり大絶賛されたことで注目が集まり、処女作にしてその年のベストテンに名を連ね、山中貞雄は日本映画界の巨匠の仲間入りをします。その後も、若き天才監督の名前をほしいままに、「盤嶽の一生」、「街の入墨者」を発表。また、稲垣浩、滝澤英輔や脚本家の八尋不二らとシナリオ集団「鳴滝組」を結成し、時代劇映画に大きな革新を生みだします。交友関係も広く、「鳴滝組」の面々のほか、伊藤大輔、伊丹万作ら京都の映画人から、小津安二郎、清水宏など東京在住の映画人とも、幾度となく盃を交えたといいます。1937年、PCL(現在の東宝)で発表した「人情紙風船」を最後に従軍。1938年9月17日、中国河南省開封の病院で戦病死しました。

<お墓の所在地>

〒602-8358
京都府京都市上京区三番町 大雄寺

TEL:075-812-2237

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