
明治維新以後は、廃仏運動の影響で仏師としての仕事が無く、木彫も輸出用の象牙彫刻が流行し衰え、光雲自身の生活も苦しかったといいます。しかし、そのような中でも光雲は木彫に専念、積極的に西洋美術を学び、衰退しかけていた木彫を写実主義を取り入れることにより復活させ、江戸時代までの木彫技術の伝統を近代につなげる重要な役割を果たしました。1893年には、老猿をシカゴ万博に出品、1919年には、山霊訶護をパリ万博に出品します。1926年に東京美術学校を退職し名誉教授になります。1934年10月10日、死去。
<お墓の所在地>
〒170-0003
東京都豊島区駒込 染井霊園
TEL:03-3918-3502