
「吾輩は猫である」、「こゝろ」などの作品で知られる、森鴎外と並ぶ明治・大正時代の大文豪です。大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学びます。帝国大学英文科卒業後、松山中学などの教師を務めた後に、イギリスへ留学します。帰国後東大講師をしながら、「吾輩は猫である」を雑誌「ホトトギス」に発表。これが大変評判になり「坊っちゃん」や「倫敦塔」などを書きます。その後、朝日新聞社に入社、「虞美人草」や「三四郎」など新聞小説を連載し好評を博します。1916年には、糖尿病にも悩まされ、その年の12月9日、大内出血を起こし「明暗」を執筆途中に死去。
<お墓の所在地>
〒171-0022
東京都 豊島区 南池袋 雑司が谷霊園
TEL:03-3971-6868