
第3次、第4次「新新潮」に参加。のちに「文藝春秋」を立ち上げ、芥川賞、直木賞を創設、実業家でもあります。大正8年、
芥川龍之介とともに大阪毎日新聞杜の客員となり、「藤十郎の恋」、「友と友の間」、「神の如く弱し」、「義民(ぎみん)」など、個性の強い作品を書きます。彼の作品には、気分や情調よりも明確な主題の展開を重視したものが多く、自らそれをテーマ小説と呼んでいました。「真珠夫人」は、通俗小説に構成の巧妙さと読者の心をとらえるツボのうまさによって、家庭小説のわくを破り、新聞小説として新境地を開いたものです。1948年3月6日、狭心症により死去。
<お墓の所在地>
〒183-0002
東京都府中市多磨町 多磨霊園
TEL:042-365-2079