
10代からボードレールやランボーを読み、詩作もよくしました。なお、22歳の若さで夭折した点など同時代の関根正二とよく比較されますが、2人の作風は全く異なっています。画家自身のほとばしる情念や不安を反映した村山の人物像は、器用ではありませんが、一度見たら忘れられない強烈な印象を残すものです。「庭園の少女」、「バラと少女」、「湖水と女」などの女性像や、「朱の風景」、「信州風景」「松の群」などの作品で分かるように風景をモチーフとして好みました。1919年2月20日、流行性感冒(スペイン風邪)による結核性肺炎で死去。
<お墓の所在地>
〒171-0022
東京都豊島区南池袋 雑司が谷霊園
TEL:03-3971-6868