東京大学の修士課程に進みますが、肺結核を病んで就職への道が絶たれます。1954年、白水社から最初の訳書、ジャン・コクトーの「大跨びらき」を上梓、この訳業は、すでに大学入学前、浪人時代に着手していたものといいます。この頃、父が急死したため、岩波書店で社外校正のアルバイトを始めます。1955年には、友人の出口裕弘や野澤協、たちと同人誌「ジャンル」を結成、「撲滅の賦」、「エピクロスの肋骨」などの小説を書きます。晩年は、遺作となった「高丘親王航海記」で、第39回読売文学賞を受賞しました。1987年8月5日、病床で読書中に頚動脈瘤が破裂し死去。
<お墓の所在地>
〒247-0062
神奈川県鎌倉市山ノ内 浄智寺
TEL:0467-22-3943