
明治25年(1892年)、処女小説「闇桜」が、雑誌「武蔵野」にて掲載。その後、明治28年(1895年)に、「たけくらべ」などを発表します。翌年、「文芸倶楽部」に「たけくらべ」が一括掲載されると、森鴎外や露伴らから絶賛されます。森鴎外は「めさまし草」で一葉を高く評価し、「文学界」同人も多く訪れるようになります。15歳から、晩年まで綴っていた日記も、近代文学の傑作といわれていています。1896年11月23日、症状が進行していた結核より24歳と8ヶ月で死去。
<お墓の所在地>
〒166-00
東京都杉並区永福 本願寺築地別院、和田掘廟所
TEL:03-3323-0321