戦後に入ってから、松岡正剛、荒俣宏など、多くの人から尊敬を集めることになり、特に「一千一秒物語」の評価は高く、怪作「A感覚とV感覚」については、澁澤龍彦が独自の一元的なエロス論として評価しました。稲垣足穂は、すべての自作を処女作「一千一秒物語」の注釈であると宣言していました。そして、その後の多くの作品は何度も改稿したが、この作品だけは改稿することがありませんでした。なお、1998年には、英語で「一千一秒物語」が刊行されています。1977年10月25日、結腸癌で入院していた病院で急性肺炎を併発し、死去。
<お墓の所在地>
〒606-8403
京都府京都市左京区浄土寺南田町 法然院
TEL:075-771-2420